お題
〜今日は、ゆっくり歩いていこう〜
小さい時に、よそ行きの服についた蜘蛛を払ってくれた。それだけ。
ま、所謂幼馴染というやつね。今私の左隣を歩いている彼は、幼稚園以来ずっと付き合いのある人。ちらりと視線を投げ掛けてみれば、丁度反対側の歩道を飼い主と散歩している犬に興味を持って、眼鏡越しにしげしげと眺めているところだった。白いシャツを纏っている背中では、洒落たリュックが彼の歩幅に合わせて揺れている。
彼はいつもにこにこ笑っていて、何にも捕らわれず、泰然自若の体を成している。
何者にも捕らわれないっていうのはつまり、私の存在にも捕らわれないってこと。
自由に街をすり抜ける風と一緒で、彼は人の波を上手く乗りこなしてゆく。彼がどこを目指して、何のために歩いているかは知らないんだけれど、それが原因かは知らないんだけれど、確かに彼の隣を歩いているのになんとなく寂しさを覚えてしまう時がある。
いったい彼がどこに行って、どこから帰ってくるのか、私は知らない。
もう一歩踏み出して、もっと深い関係になるっていう手もあるんだけれど、今私は、彼の幼馴染の親友という立場に甘んじている。優しく静かに笑う彼と対等なポジションで、同じように笑っているのが、私。
このままでいいや、と思えるだけの何かがあるのかもしれない。
「ほらー、余所見してるとまたつまづくんとちゃうの?」
「えー! 俺そんなドジじゃないし。っとと」
「あーもう。言った端からこけそうになってんの。アホやねぇ」
忍び笑いを漏らしたのは私。長い脚をもつれさせて慌ててるのは彼。情けない声をあげて弁明をするのも彼。
「アホっていうなよー」
「あそ、でもこけたのあんたでしょ、お馬鹿さん」
「えー。そっち? 言い方変えただけじゃん!」
「あははは、名誉挽回頑張りなよ」
ぽんと肩を叩いて私は一足早く走り出す。背後から彼の呼び止める声が追ってくる。
「今日ぐらいゆっくり歩いていこうよー」
「駄目駄目、あんたのペースに合わせてたら、遅刻しちゃう」
途中で立ち止まって振り返ってみれば、彼を遥か後方に置いてきてしまったことに気付く。元陸上部の彼が本気を出せば、こんな距離はあっという間に縮まるんだけど。
「しゃーないなぁ。今日だけだからねー!」
ゆっくりと私はもと来た道を引き返す。彼がにっこりと笑う。
ま、予鈴ぎりぎりぐらいなら、私だって許容の範疇だし。再び私と彼は肩を並べて歩き出す。
恋心ではないと断言できる。ただ、彼と同じ時間を共有し、映画の同じシーンに共感し、同じ高さの視線で物事を語り合う、そんな心地よい関係性を、手放したくない。手を繋ぐ必要も無い。心のどこかが繋がっていれば、それに値すると私は考えている。
ふわりとした黒髪。洒落た黒縁の眼鏡の奥から注がれる優しげで温和な眼差し。シャープな輪郭はどことなく繊細さを匂わせる。細身で長身の彼。その彼と私が結ぶ至ってプラトニックな関係性。これがなかなか乙なのです。
久々のお題消化です。
いつになく短い……? 相変わらず恋愛って謎の生き物だなぁ。
最近、ファンタジーはどこ行った? と自分で突っ込みを入れたくなる時がゴザイマス。
08.07.01