蒼い風
59
「いいか、ちゃんとおれの話にあわせろよ」
ウルフたちを送り出した後、リュカは青年の胸倉を掴んで念を押す。こくこくと頷くベニートの顔からは早くも血の気が引いている。くそっ、おれだってこんな怖い事したくないんだと内心悪態を吐きたく、否、泣き出したくなる気持ちを抑え、リュカはわざとゆっくり店先を目指す。
「はいはいー、ちょっと待ってくださいよ」
努めて明るい声を出し、ベニートを引き連れてリュカはカウンターのある部屋の扉を開く。
店の鍵は閉まっていた。ベストの内側から鍵束を取り出すと、ベニートを隅の一角に立たせてから扉を開けに、カウンターを身軽にひょいと乗り越える。
商売用の愛想の良い笑みを浮かべて、ドアを開ける。
「すいませんね。まだ店の開ける時間じゃないんだけど、お急ぎの用があるんでしたら……」
リュカの早口な言葉を遮るようにしてどかどかと男が店内に入り込んでくる。例の灰色の制服に身を包んだ男が、1人、2人、3人、店に入ってきたのはそれだけで、他の数人は店の外に待機している。窓ガラスの向こうを透かし見れば、向かいの店でも似たような事が起きているらしい。
白髪混じりの壮年の男を中央に、大柄の男が三人、ぐるりと店内を一瞥する。所狭しと置かれた薬瓶のラベルの一つ一つまで検分してやろうという鋭い視線。“何かを探している”のは火を見るよりも明らかだった。
コートを脱いだ中央の白髪男が一歩大きく進み出て口を開く。幅広の肩、がっしりとした胸板。長い外套の下から現れた、例の灰色の制服の上からも見て取れる、適度に鍛えられた体つき。それと相反するような印象を与える細くて長い手指は黒い皮製の手袋に包まれていた。
「はじめまして、私はスワンというものだが……」
リュカに対して愛想の良い笑みを浮かべた、白鳥と名乗った男はさりげなさを装いながらベニートをじっと見つめる。暗がりではっきりと目鼻立ちを確認できないとはいえ、彼の一種奇抜ともいえる風貌は、男の記憶を確かに呼び寄せる。
「奇遇だね。また君と会うことになるとは……」
探るような鋭い視線がベニートを射抜く。射竦められた彼の膝は震えていた。
「は、はは。ホントっすね……」
役立たず。リュカは心の中で舌打ちすると、カウンター越しにベニートの腕に自分の腕を絡める。一か八か、時間稼ぎにはなるだろう。ぎょっとしたベニートには構わず、リュカは男に話しかける。歳は40ぐらいか。白髪の目立つその男の目は爬虫類めいて、確かに人間だというのにどうも血の通った感じがしないところが恐ろしい。
「ね、何か薬でも買ってくれんの? ここ、おれの店なんだけど、何? こいつに用があるの?」
男がリュカの方に向き直る。
「君が、ここの主という事かね? 随分若いね」
一見穏やかな口調だというのに、どうしてこうも薄ら寒い気分を味わう事になるのだろうか。
「はは、よく言われる。でも確かにおれはこの薬屋の主人だぜ」
男の後ろに控えている面々にも、媚びるような視線を投げかける。まだ幼かった頃の悲しい癖がそうやすやすと抜け切るはずもなく。
「そうかい、若いのによく頑張っているじゃないか」
「そいつぁどうも」
皮肉たっぷりに応酬すれば、脇に控えていた部下の1人が顔を顰める。それには構わず、リュカはさりげなく尋ねる。
「あのさ、こいつと前会ったってホントなのかい?」
気のなさそうに振舞いつつ、逆に質問することで事情を知らない事をそれとなく示す。対する男は特に言い渋るでもなく、あっさりと答えを返す。
「いや、この青年を一昨日サターン・ヒルズで見たんだがね。人探しをしているといったら随分慌てていたようでね」
あくまでも純粋な好奇心を装う男。
「何? いきなりこんなトコ来てるからびっくりしたって?」
そうだね、と男は柔らかく同意する。
「オヤジさん、あんたも馬鹿だな。ちょっと考えれば分かるだろ。ベニーはおれのこと心配してくれてすっ飛んで来てくれたんだ。あんたたち、誰か人探ししてんだろ。金髪で、癖毛で、ちっこくて……だったかな?」
挑発を籠めた上目遣いでリュカが男に意味ありげな笑いを返す。
ベニートの腕に爪を立てる。痛みに顔を顰めたベニートは、ようやくリュカの意図に気付いたらしい。青褪めた表情が一層白くなる。この男を欺けというのか!? 情けない風情を晒すベニートを睨みつける。逃げ場はないと観念したらしいベニートが、ようやく口を開く。
「俺が顔色変えた理由、わかって下せえましたかね。もうこいつのことが心配で。シティの役人様を怒らすようなことしたのかと慌てちまったってわけですよ。ほら、なんていうか、生意気だから、こいつ」
口の端に卑屈な笑みを貼り付け、緊張の面持ちで制服の男におもねるベニート。緊張のあまり本音がちょっと出てしまったことにすら気付いていないようだ。
「ほう、だが、いくつか相違点があるようだが」
あくまでも物腰穏やかに、その実一部の隙もない包囲網で相手を追い詰める手腕を持った男が尋ねる。
「え、そ、そうすか? 多分、びっくりして頭から抜け落ちちまったんだと思います、はい。俺、昔から物覚え悪くて、そんでもってあんときゃびびってましたから……」
下手糞。罵りたくなるけれども、多分この男はリュカの演技だって易々見破ってしまうに違いないと思いとどまる。だいたい芝居はまだ終わっちゃいねぇ。リュカの緊張は極度まで高まる。
「ね、ベニーの事はもういいだろ? 薬買うなら急いで持ってくるからさ。それとも何? 何か他にあるの? 何か別のモン買う?」
匂わせぶりな仕草で男に目配せ、じりじりと対峙する。
「ほう、そちらの商売もやっているというわけかね?」
さしたる感慨もなく男が返す。その実残忍さを隠す瞳が獲物を捉えた豹の如く輝きを増す。
「あー。最近はコイツがいるから休業してたんだけどね」
ベニートを顎でしゃくる。
「そうか、残念だが私にそちらの趣味はなくてね。急ぎの用もあることだし。部下の中にはいるかもしれんがね……。さ、そろそろ本題に入らせてもらおうか」
男が目配せすると、脇に控えていた部下の1人が一歩前に進み出て硬い声で宣告を下す。
「シティ・ガイア保安局特別捜査命令第13条24項より、貴殿の家宅捜索を行う」
「は?」
2人揃って即応。間抜けた声を出したのは早口でちっとも聞こえなかったせい。もうすっかり慣れっこの反応だったらしく、先ほどまで応対していた男が分かりやすく説明を始める。
「申し訳ないんだがね、シティの都合で北部周辺都市の捜索を任されているんだ。一軒残らず調べる必要があってね、協力を頼むよ」
あくまでも口調はお願いの形に留まっているが、その本質は拒否権のない要請。嫌だと言ったところで、問答無用で家の中を引っ掻き回されるのは目に見えている。芝居抜きでごくりと唾を飲み込んだリュカが、そろそろと尋ねる。
「な、どうしても必要なのか、それ?」
「ああ。どうしても、ね」
「あのさ、薬とか、滅茶苦茶にしたりしねぇよな。ここじゃ貴重なんだ」
「約束するよ」
不安げな表情を浮かべていたものの、ほっと胸を撫で下ろしたリュカが、カウンターを回ってベニートのところに戻る。
「じゃ、おれたち家ん中で大人しくしとくな。居間にいるからさ。ちゃんと全部元通りに戻してくれんだろな?」
「もちろん」
蛇を思わせる狡猾な眼差しは鳴りを潜め、スワンが物分りのいい紳士を演出する。
「ふーん。じゃ、こっちから入ってくれよ」
「協力的で助かるよ」
居間へと制服の集団を導いて、リュカとベニートは緊張したまま台所へと向かう。茶を沸かそうとしたのに気付いたのか、スワンが構わないでくれ、とやんわりと辞退する。
すぐに家中で捜査官たちが動き出した。彼らが驚くほど迅速かつ丁寧に仕事を進めていく間、リュカとベニートは黙って居間のソファに収まって捜査が終わるのを待つ。やはり家の持ち主であるリュカは、あちこち引っ掻き回されるのが嫌で仕方ないらしく、エレンたちが無事かどうかという心配も相まってそわそわと落ち着きが無かった。
「ミスタ・スワン。これは何でしょう?」
2階と台所を調べ終えた頃、先ほどまで物置を調べていた制服男の1人が一冊の本を広げて上司たるスワンに中身を見せている。対するスワンは真剣な眼差しでそれを検分、何事か囁き声を交わす。
こっそりと様子を窺っていたリュカは、“それ”が何であるか気付いて、顔色を失う。慌ててそ知らぬ振りをしようと目を逸らすも、別の捜査官が目敏くリュカの異変に気付いた。
「おい、どうした」
「えっ?」
自分が声を掛けられたと勘違いしたベニートがびくついた声をあげる。
「お前じゃない、そっちのやつだ」
スワンたちも集まってくる。
「どうしたんだね?」
「いえ、その本を見たとき、薬屋の顔色が変わったもので」
自信なさそうに捜査官が報告するも、スワンはある種の確信を抱いたかのような表情を浮かべる。
「私も、これについて少し聞きたいことがあってね」
男が手の中の本を、それも大分古いと見えて背表紙が擦り切れている本を、リュカとベニートに良く見えるよう翳す。
「地図……?」
ベニートが中身を覗き込んで呟きを漏らす。
彼の見立ての通り、それは地図だった。地図は地図でも、それはローラが持ってきていたシティ・ガイアの地図だった。シティへ通じる下水道についても記された、古い古い例の地図だった。
やばい。ぬかった。
「どうしてこれがここにあるのか、説明できるかね?」
男の視線は暗く鋭く輝きを増していた。今現在のリュカの心情を言い表すならば、蛇に睨まれた蛙、猫に追い詰められた鼠のそれと同じ。事情があるらしいと瞬時に察知したスワンが、配下のものに目配せする。
視線の意味を正しく理解した部下が、一斉にリュカに向かって手を伸ばす。慌てて立ち上がったベニートも、同じように取り押さえられる。
よりによって。
僅かに押し問答があるも小柄な彼が屈強な男たちに叶うはずも無く、ややあって床に押さえつけられたリュカが恐怖を押し隠すように舌打ちする。先程とは一転して、荒っぽく家中を引っ掻き回す捜査官に向かって、ベニートが抗議の声を荒げる。
「何すんだよ! 大事に扱うって約束したじゃないか!」
スワンが残忍ともいえる笑みを浮かべて2人のほうに屈みこむ。薄い唇がにやりと捻じ曲がり、不自然なまでに白い歯がちらりと垣間見える。
「君たちが協力的な場合の話だろう?」
男は、ぎりりと歯を食い縛るベニートを尻目に、事情を知っているらしいリュカに意味ありげな視線を投げかけた。
「やめさせたいかね? わかっているとは思うが、今後の対応は君たちの態度次第なんだよ」
白い蛇は、その牙を剥く事に対してなんの躊躇いも持ちあわせていないようだった。